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2019年5月 1日 (水)

画家の情熱を知った、恩師の最終講義

埼玉大学教授、吉岡正人先生の最終講義
https://youtu.be/v01tmG3Muow

2月16日(土)、初めて埼玉大学のキャンパスに行きました。専修大学松戸高校(専松)の美術部の恩師だった、吉岡正人先生の最終講義に出席するためです。

吉岡正人先生は、私が高校を卒業して間も無く埼玉大学の教授になられました(写真は部長のT君と)。

今では、指折りの画家となられた吉岡先生。飄々とした性格の吉岡先生にも、実は様々な人生模様があったことを初めて知り、人の人生の奥深さを改めて考えさせられました。

以下は私が記した講義のメモです。

………………………………………………………………………

浪人時代、最初の2年くらいは友達がいるから何とか楽しく過ごせるが、3浪目からはグッと寂しく

美術予備校の先生(?)から
「君諦めたら?」
しかし言われたら余計にやめられない。
毎日毎日ルノアールで何時間も過ごし、構成やら表現やら分析する日々。

しかし受験はまた失敗。

渡欧することに(3月落ち5月にはパリに。言葉は全く分からない)
超巨大な低気圧が来て、喘息の発作が出たことで、画家の山下さんのところに居候。画家の生活を近くで見られるラッキーに恵まれた

毎日ルーブルに通った
言葉は分からないし、
「将来どうなるんだろう」
上手く描くことしか考えていなかったが、有名な絵画のすごいパワーを目の当たりにし「ヤバい」と。

凄い絵画がたくさんあるのだが、絵が語りかけてくる
「誰も分かってくれない」
「孤独だ」
などと。

様々自分のことを考えた
当時22歳
それまでは上手く描くことしか考えていなかったが
「絵画って何?」
と考えながら描くようになっていた

画家の先生を捕まえては
「先生お話が」
大抵ちょっと良い店に連れて行ってくれた
「大変な時代の中、どうして絵を続けてこられたのか」
質問し続けた

良い時間だった

デッサンは線だと思っていた
今でもアウトラインにはこだわっている

下宿に同居していた服部くん、
ホモと噂されるくらい一緒にいた
二人でいる時はずーっと絵の話

「コイツは」と思う友達は狙って落とすタイプ。服部くんもそういう一人だった

彼はアメリカに渡り第一回絵画展を開いたが、40代そこそこで突然死。
「こんなことが起こるのだ…」
初めて人生を考えた

武蔵野美術大学の通信制から武蔵野美術大学、そして筑波大学大学院へ

印刷屋のバイト
夜10時から朝8時まで休憩時間無し
日給1万円
3日働けば4日は絵が描けると思い
何とか続けていくうちに知り合いの額屋が自分を引き抜き、そちらに移った

後から分かったが、額屋は後にも先にもバイトは雇っていない。あれは自分に手を差し伸べてくれたのでは?

友達の内藤くんが高校教師の口を紹介してくれた
ホッとしたのもつかの間、合宿先で生徒が死亡
職員会議にかけられ、処分は免れたものの、いつまでもいられない雰囲気に
自分に子どもが出来たあと、16歳で子どもを失うことの深さを身に染みて感じた

周囲が心配して次々と就職あっせんが、そして埼玉大学に。
「何とか暮らしていける」

当時はかなりデフォルメした絵ばかり描いていた
その癖(特に顔)を直すまでしばらくかかった

ずっとアクリル画だったが全く売れなかった。しかしテンペラ画に変えた途端に一枚残らず売れ始め10年続いた

儲かったがこのままじゃスカスカになりそうだった。学芸員の知り合いが「外国に逃げたら?」
文化庁の派遣があることが分かり推薦されイタリアへ
イタリア「に」行きたかった訳ではなかったが…1年間(?)

埼玉医学大学からの依頼、ナイチンゲールとヒポクラテス。原画は会議室、拡大したものが正面玄関に。
チーム・バチスタの初回にも映っているらしい

最後の晩餐
京都のノートルダム大学に収めた

これからはもっと絵に集中できる
子どもの頃からずっと絵を描いてきた
自分はまだまだこれから、こんなもんじゃない、と思っている

橘先生が
「一生懸命やっているやつがいるんだ。そいつだけは何とかしてやりたいじゃないか」
(その姿を自分に重ねたのだろう。吉岡正人先生は声を詰まらせた)

息子に「泣くなよ」と言われたのに。

今思えば、自分の人生は心ある方々に支えられていた。
感謝の気持ちでいっぱいです。

………………………………………


「自分はまだまだこれから、こんなもんじゃない」

その情熱ってどこから来るんだろう…物腰が柔らかく、飄々とした先生からは想像できませんでした。

また、後輩が合宿先で事故で亡くなった時、裏ではそんなに大変な事態になっていたなんて、全く知りませんでした。

考えてみれば、そりゃそうだったでしょうよ、と今では思うけれど、先生はそんな様子は微塵も見せませんでした。

人の人生、裏側では本当に色々なことがあるんだなと改めて思った、吉岡正人先生の最終講義でした。

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