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2022年4月29日 (金)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<おまけ>

(おまけ、長いです)

                 

周囲の人から、

「あなたは子どもに甘い」

と言われることがあります。

               

また、息子と同年代の友人の子どもから

「先生が『学校すら行けない人が

社会でやっていかれるはずがない』

と言っていた」

と指摘されたこともあります。

                             

うん…

確かに私は、自分にも他人にも、子どもにも甘いです。

ただ、この先生が言っていることに対して

私はハッキリと否定します。

優等生しか見ていない教師の言葉に聴こえます。

(そもそも「優秀」とは何なんだ??)

                           

「学校に行けない」のが、

行けない子のせいだけとは限らない。

学校に行かれない子が他の子より劣っている

とは限らない。

学校に行かれない子を「怠けている」(?)としか

見ようとしない大人の目の方を私は疑う。                     

                                              

うちの息子がどうして学校に行けなくなったのか、

未だにハッキリしませんが、

彼がたった一度、ポツリと

「小学校は何とか耐えることができた。

でも中学校は…詰まらなかった」

と言ったことがあります。

                

この話をすると

「世の中ってそんなものでしょ。何甘えてるの?」

と指摘されたりします。

                    

でも、私はそれを聞くとモヤッとするんです。

小学生や中学生が大人と同じようだとしたら

そっちの社会の方が病んでいるのではないですか??

 

息子がお世話になった保育所で、私たち親子は

「ありのままの自分で良い」

と、いつの間にかしっかり教えていただいていたのだ

ということを、息子が学校に行かれなくなって

私は初めて気がつきました。

                   

息子が不登校になった時、

私はそんなに動揺しなかったのですが、

どうしてなんだろう?と色々考えていたら、

お世話になった保育所と学童に行きついたのです。

 

息子は、その保育所が運営する学童が

死ぬほど(!)好きでした。

寝ても覚めても学童に行きたくて仕方がなかった。

毎日毎日、新しい発見、新しい実験、新しい遊び。

彼は毎日のように笑い転げて過ごしていました。

本当によく笑う子だった。

子どもらしい時間だったと思います。

先生は子どもたち一人ひとりの持ち味を理解し、

ありのままその子たちを尊重してくれました。

                    

息子が不登校になって夫婦でぶつかった時、

保育園の園長に相談しました。

すると「T 君はうちの卒園生だもん、大丈夫だよ。」

とサラッと言ってくれて

「やっぱり♬」と納得したのを覚えています。

私は息子が自己肯定感を持っている子だと、

どこかで分かっていたのではないかと、

だから動揺しなかったのではないか、と思っています。

                                                                                                   

話を戻すと、

世の中には、頑張っても順調に行かない人もいるし、

何かが原因でつまずく人もいるし、

人間は、だから人間なんだと思うし。

                  

つまずく人は心が弱いのだろうか。

そもそも「弱い」ってなんだ?

感じ取る力があるから悩むのではないだろうか。

                                         

そういう人がいたって良い。

こんな世の中では生きづらいかもしれないけれど、

みんながみんな強い人間である必要はない。

世の中には色んな人がいて良い。

(学校でもそう教えているはずなんですけどね)                      

実は強い(強く見える)ってことは、

強くないことかもしれなくて…

                               

それにね、

子どもが親に甘えて何が悪いの?って思うんです。

「助けて」と求めていたら、

まずは「助けを求めてくれてありがとう」だし、

「大丈夫だよ」と受け止めてあげたい。

受け止めてあげてほしいです。

突き放すタイミングは、もっと後にやってきます。

そのためにも、子どもをじーっと観察してください。

どうか親自身も自分を責めないでください。

                                                                                                   

日本人は自己肯定感が低いと言われます。

実は、子どもを育てている親自身も自己肯定感が低く、

子どもが不登校になったことを

「親である自分のせい」

と思う人も多いんです。

でも、必ずしもそうではないと思います。

               

親だって初めての人生、初めての子育て、

教科書に書いてあるように出来なくて当たり前。

一緒に考えていけば良いと思います。

                 

自己肯定感とは、

自分のマイナス面も全てひっくるめて、

自分の存在を肯定すること。

               

自信を持つということとも少し違うし、

マイナスを反省しないわけではないんです。

でも、マイナス面があること=否定、にはならない。

                    

「こんな私だけど、丸ごとオッケー👍」

そんな感じでしょうか。

                

自己肯定感を持つことができると、

人が自分をどう見ているかを心配しなくなります。

そして、精神的に自立できるようになります。

                     

人からの評価を気にしないで済むって、

とてもラクですよ♬

                 

…なんて、

こんな私ですが、実はずっと自己肯定感が低かったんです。

母からの影響だと思いますが、

子どもの頃から否定され続けていると自己肯定感は育ちません。

私の場合は、自分自身が環境保護運動に関わって、

自分の頭で考え行動するようになってから

自分自身を好きになり始めました。                 

                       

あ。

そういえば、私の仕事は、

有権者から「私の市議としての仕事」を

評価されるのでしたね。

私の人間性が評価されるわけではないかもしれないけれど、

人間性も含めて評価されるような市議に

なってみたいものだな、と思っています。 

                    

                                       

2022年4月28日 (木)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その6>

(その6)これが最後

                             

③我が息子、その後は

              

息子は現在、人口よりも牛の方が多いような北海道の田舎町の、

ある建設会社の社長に拾っていただき、毎日働いています。

不思議なご縁の結果こうなりました。

                       

息子は卒業後、何がしたいか全く思いつきませんでした。

卒業式の時点でも、彼は「進路未定」でした。

ある時「北海道で牛の世話でもする?」と聞いてみたら

目が「キラッ」としたのと、

そろそろ私と一緒にいたら抜け出せなくなりそうだな~

という気配も感じていたので、お互いに簡単には会えない場所で、

しかも大自然がある北海道が適地ではないかと考え始め、

何とか北海道に追いやれないものか…と私は企みはじめました。

                                                

そんな時、17年ぶりくらいにFacebookで再開したSさんが

北海道に住んでいることを知り、息子のことを話したところ

「遊びにおいで」ということになりました。

2人で行ってみたところ、息子は北海道がとても気に入った様子でした。

良いぞ良いぞ♪

しかし、私たち親子が本当にラッキーだったのは、

そのSさんが稀に見るほどの世話好きな方だったことでした。

                          

Sさんのご紹介で小さな牧場にご縁ができ、息子は1週間滞在して

経験をさせていただきました。

その後Sさんは、息子には物作りが向くだろう、と、

とある建設会社を紹介してくれて、まずはアルバイトから、と…

働かせていただくことになりました。

住むところをどうしようかと言っていたら、

Sさんから話を聞いた地域猫活動をしている方が

「猫の世話をしてくれるなら住宅を提供する」

と言ってくださり、ジャガイモ畑の中の一軒家をほぼ無料で

お借りできることになったのです。

                             

結局、建設会社に就職させてもらうことになり、

あっという間に進路が決まりました。

この正月、本人が帰郷した時に「楽しい?」と聞いたら

「うん、楽しいよ」

と息子。

コンビニで牛乳の1本さえ買えなかった息子が、

知らない土地で働いているなんて。

あんなにペラペラだった息子の体が、胸板も厚く、

力こぶもしっかり出来て逞しくなってビックリ。

                      

さまざまな皆さんとのご縁、そしてご親切には

感謝してもしきれません。

Sさんは今でもまるで親代わりのように、

私に様々な報告をしてくれます。

本当にありがたい方です。

そして、そのほかの北海道の人たちも、

とても面倒見が良いようなんです。

開拓精神が受け継がれているのでしょうか。

                                           

多分、うちの場合は上手く行った方だと思います。

誰もが同じようにはいかないかもしれません。

でも「人生の脱落」なんて周囲が勝手に決めているだけで、

実際にはそんなこと無いんじゃない?って思うのです。

                         

日本では「みんなと同じことができる」のが

暗黙の評価基準かもしれない。

でも、息子の不登校を通じて気付かされたのは

ありのままの自分で良い、ということ。

それは子どもだけじゃなく、大人の方もそうです。

                   

(ただ、ありのままの自分でいられるための、

最低限度の生活ができる社会基盤が必要です。

それは政治の役割であろう、と思います。)

                        

学校に行かれなかったことは、いまだに息子の傷になっているようで、

今年の成人式、息子は行きませんでした。

中学校の友達に会いたくなかったのでしょう。

自分が不登校だったことを、この先彼の中でどう

折り合いを付けていくのか私には分かりません。                      

 

でも、自分らしく彼の人生を歩んでもらえたら、私にはそれで十分です。

                                  
(おまけも書いたので、よろしければこのあともお読みください♬)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その5>

(その5)

                           

②受験のこと

 子どもを良く観察し、状態を見て。

 

3年生の2学期、受験をどうするか

決めなければならない時期が来ました。

訪問相談担当教員の先生が

「受験の手続きは今日しないと間に合わない」

と言いに来てくれました。

私自身、息子を見ていて

「そろそろ背中を押す時期だ」と感じていたのですが、

まずは息子に任せようと見守っていました。

              

沈黙が40分続きました…

                         

とうとう、私の方が痺れを切らし

3部制の松戸南高校の受験を勧めました。

「これまでも家にいたんだから、落ちたらまた家に入れば良いわよ」

とか言って。

夫は埼玉県飯能市にある「自由の森学園」にしろ

とか言っていましたが、本人は

「自分が行く学校ではない」

とキッパリ言っていましたから、分かっていたんだと思います。

                         

松戸南高校は、不登校経験の生徒が大変多い学校です。

午前部、午後部、夜間部の3部があります。

中には午前部以外はスポーツに打ち込む生徒や、家庭の事情で

働きながら通う生徒もいます。

松戸南の教師は生徒のことを良く心得てくれていますし、

中学校の勉強をやり直しながらゆっくり進めてくれます。

単位制高校で、単位を多く取れば3年間で卒業することも

できます。 

                              

ただ、一般の大学進学は難しいかもしれませんね。

千葉商科大学への推薦など、枠は小さいですがありますから、

頑張る子はそういう手もあります。                                                       

 

息子は「日中誰にも会いたくない」という理由で

夜間部を受験することにしました。

 

外にほとんど出たことが無かったので、

受験の丸2日間、

どうなるかと思いましたが、

何とか切り抜けました。                          

付け焼き刃の勉強でしたが、

本番までの短期間、

緒に頑張りました。                                              

                      

余談ですが、

不登校の生徒が増えすぎていて、

せっかくその気になって松戸南高校を

受験しても落とされてしまう子が増えています。

また、生活困窮家庭も増えており、

定時制や3部制の高校は、

今こそ求められています。

千葉県には、統廃合の方針をやめ、

定時制や3部制の高校を

増やしてもらいたいと思っています。

                                

(その6に続く)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その4>

(その4)                               

                            

私が息子を黙って見ている様子を見て、夫も実父も

「お前は息子の将来に責任が持てるのか」と私を責めました。

私は「人生の責任を取るのは本人であって私ではない」

と答えました。

夫婦間、親子間の葛藤は、どの家庭でも起こると思います。

                       

私は夫を講演会に連れていきました。

そこには不登校の児童生徒を持つ親が集まっていて、

自分と似たような人たちがいると知り、夫は少し

安心したのではないかと思います。

妻の言うことには納得できなくても、

講師の方、経験者の話を聞くとすんなり入ることがあり、

ご夫婦で講演会や自助グループに行くのはオススメです。

                        

それから…不登校の期間、私は実は息子と一緒に寝ていました。

彼の名誉のために、書こうかどうしようか少し迷いましたが、

ありのままを知ってほしいので書くことにしました。

                      

不登校になってから、ある時

「母ちゃん、一緒に寝ても良い?」

と息子が言ってきたのです。

私は拒否しませんでした。

もう子どもではない男の子とお母さんが一緒の布団。

普通だったら気持ちが悪いかもしれませんね。

でも、息子が不安な気持ちでいっぱいなことが伝わってきたのです。

それからは毎日一緒に寝て、たまには息子のお腹に手を置いて

「なんちゃってお祈り」をしたりして笑。

            

3年生になる頃だったでしょうか。

いつの間にか息子も成長し、

一枚の布団では狭くなりつつあったある日のこと、

私が風邪を引き、インフルエンザだといけないからと、

別の布団で寝たことがあります。

すると、朝になって息子が

「一枚の布団で寝るってラクチンだねー!」

と言ったので、ああもう大丈夫なんだなと思い、

それからは別の布団で寝るようになりました。

 

千葉県の事業である「訪問相談担当教員」の

派遣をしていただきました。

教頭先生がこの制度を紹介してくれて、約2年間、

男性の理科の先生が週一ペースでお越しくださいました。

女の子の家庭には女性の先生が訪問するそうです。

                      

その先生が来たら、理科の実験をしてくれます。

私も面白がって参加し、楽しい時間を過ごさせていただきました。

時々は私が仕事で忙しいことにして、

先生と2人で過ごしてみたり、

適応指導教室まで先生と2人で行ってみたり。

優しい先生で、とても良くしていただきました。

                                     

                  

(その5に続く)

息子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その3>

(その3)その3も長いです。

                        

「頑張れていない」

本人はそう思っていますが、実は「学校に行かれない」こと自体、

すでに非常に相当頑張っている=心の負担になっていることが

周囲には伝わりません。

家族でさえそれを理解できないことが多いと思います。

良くあることですが、夢中でゲームをしたりするので、

見た目には遊んでいるように見えるのです。

                        

我が家の場合も、夫も娘も初めは理解できなかったと思います。

夫は「学校に行け」と怒っていたし、

娘も「逃げてるだけ」と言っていましたから。

 

けれどもそうではないのです。

不登校の生徒は、学校に行かれなくなった時点で、心の中の

”エネルギーのプール”はほぼ空っぽの状態です。

本人は、決して遊びたくて遊んでいるわけではありません。

うちの息子は最初レゴブロックに夢中でした。

そしてピースが足りなくなると、

私のiPadでゲームをするようになりました。

言わば、心の穴埋めを必死で行っていると言えばいいのかな…

「目が悪くなるから夜中はやめよう」と伝えましたが、

特に止めませんでした。

必要なことをしているのではないかと思ったからです。

                          

本人がその心理を周囲に的確に伝えるのは容易ではありません。

「学校に行かれない」状況を伝えることはとても難しいと感じます。

また、大抵の人は、学校に行かれないなど経験したことがないので、

なかなか理解できません。

本人は頭では

「学校に行きたい」「学校に行かなければならない」

と思っている。けれども、体が拒否して「行くことができない」。

子どもはその状況を上手に親に説明することができません。

                       

「怠けてるんじゃないの?」とも良く言われます。

でもね、決して怠けているんじゃありません。

本人は頑張りたいと思っても、

体と心が思うようにならない状態なのです。

                              

もし、このブログを読んでいる保護者で子どもが不登校になった、

あるいはなりがちだという方は、まずはあなたのお子さんを

じっと観察し、ありのままに受け入れてみることから

始めてほしいです。

                           

私が息子に時々伝えていたのは

「学校に行けないあなたも、学校に行けるあなたも、

あなたであることに変わりはない」

ということと、

「一緒に考えていこう」

ということでした。

                      

中には親に暴力を振るう子がいます。

「暴力を振るわないと心が保てないほど傷ついた状態」

になっているのではないか。

私はそう考えています。

でも、親としては辛いですよね。

もしお子さんに言えそうだったら

「辛いんだね」「苦しいんだね」                             

と声をかけてみてください。

まずはお子さんの状況を受け止めることから

始めてみてください。

                    

親自身の心を癒すには、同じ思いの親同士が話す

自助グループがおすすめです。

私もいずれ自助グループを立ち上げたいと考えています。

不登校の子を持ったもの同士じゃないと、なかなか通じないですから。 

                         

(その4に続く)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その2>

(その2)長いです。

                 

①「不登校になった時、親はまず子どもを受け入れよう。

 それは親である自分自身を受け入れることです。」

 私が考えたことや行ったこと。

 子どもの要望を拒否しない。それは我儘にすることにはなりません。

 

                                

私には子どもが2人います。

1997年(平成9年)生まれの長女と、2002年(平成14年)生まれの長男。

                               

不登校になったのは下の息子です。彼が中学校1年生の2学期でした。

始業式からひどい咳で休み、その後も1か月ほど

行けたり行けなかったりを繰り返しました。

今思えば、彼は何度も

「母ちゃん、熱があるみたいなんだけど?」

と聞いてきました。

           

首を触ると、確かに微熱があるんですよね。

地元のクリニックに言くと「風邪だろう」と言われ、

漢方薬を出してくれました。

でも、なかなかスッキリと良くなりませんでした。

                    

2011年の原発事故の影響で、松戸市も放射能汚染の

ホットスポットになったこともあり、私はむしろ白血病を心配しました。

そこで、クリニックの先生に紹介状を書いてもらい、

松戸市立病院に連れていきました。

                     

血液検査や尿検査など基本的な検査の結果

「全く問題ない」との診断でした。

そこで、初めて私は

「もしや、これは心の問題では?」

と思うようになったのです。

                      

(この辺の細かいやり取りは、もう忘れてしまって思い出せません…)

                         

確か息子に「もしかして学校行きづらいの?」と聞いたと思います。

「うん…でも母ちゃん忙しそうだったから…」

ちょうど、私の初めての選挙が11月だったため私はとても忙しく、

息子の方も遠慮していたそうです(悪かったな~)。

                    

うちの息子の場合「いじめ」は全く考えられませんでした。

小学校から付き合っている仲良しの友達は皆とても優しい子たちで、

学校帰りや休みの日に、息子を励ましてくれていましたし、

息子も友達が大好きのようでしたから。

                                                  

中学校のカウンセラーに面接を申し込み、息子と2回ほど行きました。

(担任を通して申し込むんですよねー、これが結構ストレスだった)

カウンセラーさんはとても話しやすく、やり取りしているうちに

息子は何となく登校できそうな気がしてきたらしく

「来週の月曜日に頑張ってみる」と決めました。

                         

そして翌月曜日。

息子は起床して制服に着替え、朝食と歯磨きを済ませました。

そして学校のカバンを取りに2階へ上がったきり戻ってきません。

「むむ、これは」

と2階に行くと、息子はカバンを前に正座し、

岩のように硬くうなだれていました。

                          

「学校、行けないの?」

と聞くと、彼はやっと、絞り出すように、小さくコクンと頷きました。

「そんなに苦しいのなら無理して学校に行かなくてもいいよ。大丈夫だよ。」

と声をかけました。

「これからのことはゆっくり一緒に考えていこう」

                       

今でも、あの時にそう言って良かった、と思っています。

息子の心のプールが空っぽで

カラカラに乾いていることが分かりましたから。

                          

それからしばらく半年以上、息子はうつ状態でした。

学校に行かれない自分を自己否定し続けていたと思うし、

友達が「頑張れていない自分を見捨てるかもしれない」

という不安が付きまとっていたと思います。

ですから、友達が遊びに来てくれた時には、

心からホッとした顔を見せていました。

                  

特に学期と学年の変わり目は滅入っていたと思います。

                         

友達に励まされ、3学期は登校しようと、私と一緒に宿題を仕上げ、

始業式まで数日と迫った頃、

息子はソワソワして落ち着かなくなりました。

「母ちゃん、俺、学校行けるかな…」

息子は不安だったようです。

「どうだろうね。でも、もし行けなかったらうちにいればいいよ。」

                 

結局行かれず、その後、第2学年に上がる時も

同じようなことがありました。

その度に、友達が離れてしまうかもしれない不安に

苛まれていたようでした。                   

仲良しの友達から

「遊びに行っても良い?」

という連絡があった時の、

パッと明るくなった息子の顔を思い出します。

 

(その3に続く)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その1>

明日まで自宅待機の身なので、思いながら書けなかったことを一気に書いてみました。

                    

                           

もし、お子さんが突然学校に行けなくなったら??

                         

大抵の保護者は動揺し、何とか学校に行かせようとします。

日本では学校に行かれない=落第、脱落、のようなイメージが

強いため当然のことかもしれません。

今日は、私が経験した息子の不登校について書き記して

いきたいと思います。

                         

ただ、一口に「不登校」と言っても千差万別ですので、

一つの例としてお読みいただけたらと思います。

                           

説明の途中にも書くかもしれませんが、

私が不登校の子を持った経験から、

同じ思いをしている保護者の方に一番伝えたいことは、

まずは深呼吸して

「焦らないで」「責めないで」

「子どもさんの様子を良く観察して」

「腹を括って受け止めて」

ということです。

                      

親の不安、動揺、焦りは、全て子どもに伝わります。

親が子どもを信じられていないことも伝わってしまいます。              

子どもの不登校で試されるのは、実は親自身だと、

私は常に感じていました。

                        

大事なことは「子どもを信じて、子どもに任せて、元気になるまで待つ」、

それに尽きると思います。

それから「長い人生の中で、休憩する機会があっても良い」と腹をくくり、

せめて、自宅は”安心して休んで良い場所”だと思わせてあげましょう。

                           

もちろん、「自分はそう思わない」という方がいても良いと思いますが、

とにかく私は自分が経験したこと以上のことは分からないので、

一つの例としてお読みください。

でも、親の会に何度も出て、経験した保護者の方のお話を聴くと、

おおむね同じ境地に達していると確認することが多かったです。                            

                            

ブログの内容は以下のように数回に分けて書き進めたいと思います。                                             

                         

①不登校になった時、親はまず子どもを受け入れよう。

 それは親である自分自身を受け入れることです。

 私が考えたことや行ったこと。

 子どもの要望を拒否しない。それは我儘にすることにはなりません。

②受験のこと

 子どもを良く観察し、状態を見て。

③我が息子、その後は

                    

(その2に続く)                 

2022年4月26日 (火)

咳止めにれんこん 自然の力は素晴らしい!

私のコロナ症状は大したことなくて早めに回復したけれど、

同居している妹の方がいつまで経ってもなかなか良くならない。

                         

特に咳がひどくて筋肉痛になるほどだったので、私は自然療法の

「蓮根湯(れんこんとう)」を飲ませてみることにしました。

れんこんは大昔から「咳に効く」食べ物なんです。

                     

<用意するもの>

蓮根をすりおろして、搾った汁 大さじ3

生姜のおろし汁 数的

水150cc程度

 

小鍋に全部入れて火にかけ、周囲がプツプツしたら火を止める。

暖かいうちに飲む。

まあ、粉っぽいし泥臭いというか、あまり美味しくないです笑

                         

けどね、これがビックリなんですけれど、

妹の咳ピタッと止まっちゃったんです!!

とても楽になったと言っていました。

                     

たまには私も役に立った。良かったな〜

                    

あとは梅醤葛(うめしょうくず)を作りました。

葛は胃腸を温め、筋肉の強張りをほぐしてくれます。

醤油は造血作用、梅干しは殺菌作用。

こちらはとても美味しいですよ♬

              

具合が悪い時のために、

できれば天然の梅干し、天然醸造の醤油、天然の葛は

生活の中にあると良いけれど…

私は生活クラブのを基本的に使っています。

 

<用意するもの>

梅干し、醤油、葛

①お皿に入れて梅干しを潰し良く混ぜる。 

②小鍋に葛と、葛の5倍の水を入れて良く混ぜ合わせ、火にかける

③プツプツしてきたら2分間しっかり木ベラで混ぜる

④お皿に屑を注いで良く混ぜ合わせる

              

風邪の時は、梅醤葛が一番です♬

お子さんも多分大丈夫だと…我が家は大好きでした。

ぜひ一度お試しください。

            

何はともあれ、良く休むことだと思います…。

                  

                             

2022年4月23日 (土)

アースデーに思い出すことと言えば

昨日は「アースデイ2022」 だったんですよねー。
代々木公園、賑わったかな。
                   
11年前、代々木に行ったなー。
3・11の後のデモがあった。確か4月23日。
もちろん、議員になる前のことです。
                                  
デモの帰りに代々木公園のアースデイに寄ったら
父の建築家仲間がが店を出していて、
そこにガイガーカウンターが置いてあったのです。
                  
「買ったんですか!?」
ジーッと見ていたら
「使いたいの?1週間限定で貸してあげるわよ」
と言われ、もちろんありがたく借りて帰りました。
               
             
実は松戸市が汚染のホットスポットになったことが
ネットの情報等から濃厚だったので、調べたかったんです。
                    
高校時代の友人と一緒に市内をあちこち回って調べました。
残念なことに、松戸市内どこに行っても線量が高く、
本当に衝撃でした。
                
我が家の玄関先でも0.5μSv/hもあり(通常の12倍くらい)、
21世紀の森では1μSv/hに近い場所もあるのに、
親子がレジャーシートに座ったり寝転がったり、
お弁当を広げて食べていたんです。
ショックでした。
放射線管理区域の線量を超えるような場所で食事なんて
とんでもないことなのに、
知らないこの人たちに一体どうやって知らせる?
                      
私は友人と2人で市役所に要望することにしました。
「松戸市として市内の汚染状況の把握をしてください」
一生懸命文章を考えて提出しに行きました。
                       
当時の環境保全課にはメールや電話が殺到していたみたいで、
カウンターではとにかくクレーム対応をされ、1時間半押し問答。
教育委員会も全く同じです。                           
                 
聞いているようで全然聞く気がないんですよね、
クレーム対応する職員て。
いざって時にこれって何なんだ!?
と腹立たしく思ったのを覚えています。
                   
まぁ、職員も大変なんですけどね。                 
                 
                       
                       
おまけだけど、
当時4年生だった息子と電車で渋谷まで行ったんだけど
彼が電車の中で
「ゲンパツのゲンに宿題の宿って書いてなんて読むの?」
って聞いたので
「え、え、え、ゲンパツのゲンですって?」
焦った。
           
それ、原宿のことだったんです笑
原発、原発、って言い過ぎていたのかな💦
って反省した一幕でした笑笑
                
                

2022年4月21日 (木)

コロナ陽性になってしまいました

(4月24日、説明が少ないために誤解を招いているという指摘があったため加筆)

                                            
熱が下がったので、パソコンに向かうことにしました。

市長選前の大事な時期なのに、コロナ陽性になってしまいました。

周囲の皆さんには多大なご迷惑をおかけして

本当に申し訳ないと思っています。

待機期間が明けたら頑張りますね✊

                                                                      

というわけで、18日(月)から、

コロナ陽性(症状あり)で自宅療養しています。

元々検査を受けようと思っていた18日(月)、民間の検査期間で

唾液によるPCR検査を受けました。

                   

朝から少し頭が重く、痛みもありました。

(↑説明を端ょり過ぎたようで、申し訳ありません)                            

7時から原さんの駅頭を手伝い、終了後原さんの事務所に移動、

打ち合わせをしました。

その辺だったでしょうか。少し頭が重く感じ、痛みも感じました。

でも、熱もなかったですし具合が悪いというほどではありませんでした。

私、頭痛は良くあるし、この時点では「肩が凝っているのかな?」

くらいに考えていたんです。

                       

その日の午後から発熱、

熱は37.7度くらいでそれほど高くなかったのですが、

この日が体は一番キツかったです。

                    

夜に検査機関からSMSで通知が来て、陽性が判明しました。

感染経路は、色々考えましたが良くわかりません。。。

                                                          

行政からの連絡は全てSMSで来ています。

厚労省から「COCOAに登録してくれ」と来たので

やってみようとしたら8桁の番号を入れるように指示されます。

そこで、SMSで来ていた数字を入れましたが

「番号が違う」と出てしまうんです。

以後、8桁の数字は届かなくて登録できないままです。

                       

SMSで情報が来たり、こちらの状態を記入できるのは

確かに便利ですね。

けれど、もし高熱があって体の節々が痛い最中だったら

けっこうキツイと思うし、高齢者にはもちろん無理ですし、

何か良い方法は無いものかと考えました。

「SMSの対応は出来ますか?」と

1回目に聞いてくれたら良いのでしょうか。

体験した皆さんからアンケートを集められたら、

今後に役立つかもしれません。

                                                  

さて、今日(発症から3日目)になって、

保健所から調査の電話が来ました。

発症日や症状、熱、酸素飽和度、職業、家族構成、

緊急連絡先など20分強のヒアリングを受けました。

何人体制か知りませんけど、大変だろうなーと思いました。

お仕事とはいえ、お疲れ様です。

                            

症状が出た翌日から10日後、その日から遡って72時間前から

何の変化もなければ療養解除とのことです。

陽性でも症状が無い人は7日間で解除。

                    

何となく知っているつもりでも、当事者になってみると

きちんと分かっていなかった、ということもわかりました。

https://www.pref.chiba.lg.jp/shippei/kansenshou/ryouyoutaiinkijun.html

                               

私はワクチン接種を全く受けていないのですが、

その割にはそこまでひどくならなかったのかもしれません。

                                                 

何はともあれ、感染者がとても多くなって、

どこでウイルスを貰ってもおかしくない状況ですね。

今さらですが、お店などのトイレや洗面所の共有スペースは

十分注意したほうが良いそうです。

仕様前後には必ずアルコール消毒を。

                       

                       

あ〜、まだまだ我慢の時代は続きますね。ツラ…💧

                      

                        

2022年4月 7日 (木)

子どもに打つ、2種類のワクチン

3月議会の予算審査では、衛生費のところで、

子宮頸がんワクチンと子どもへのコロナワクチンについて

質疑しました。

                   

どちらのワクチンにも共通して言えるのは

「接種を決めるのは親であること」

「メリットしか伝えていないこと」

です。

                          

子宮頸がんワクチンは、接種後にひどい副反応が起きて

社会生活を送れなくなってしまった少女たちが2013年頃に

クローズアップされ、厚労省は積極的に勧めないことを決めました。

                     

ところが、一昨年秋に方向転換され、令和3年度から

積極的勧奨接種(接種を進める)になったのです。

産婦人科医やタレントがワクチン接種の推進に向けて

活動した結果だそうです。

                                                                   

けれどワクチンの設計は以前のものと全く変わって

いないので、副反応の心配は拭えません。

                    

そもそも子宮頚がんは、

「性交渉(SEX)」で感染するってこと。

まずは性教育をしっかり行い、定期検査で早期発見に努めよう、

ってことにどうしてならないのでしょうか。

                    

もしかしたら、性教育を疎ましく思う政治家が多く、その一方で

子宮頚がんにかかる女性が多いので、ワクチンに頼るしかない!

という動きになったのか…とも想像しますが、子宮頸がんを予防する

ために打ったワクチンで、一生を不自由に過ごす女性がいるとしたら

本当にワクチン頼みで良いのだろうか、と私は大いに疑問なのです。

                               

年間2,000人の女性が子宮頚がんで亡くなっていることは分かります。

けれど、打てる対策を打たずにワクチン、は納得できません。

                     

                                                                                       

511歳への新型コロナワクチンについては、

心配する市民有志や市民団体が「リスクも伝えるべきだ」と

松戸市長/ワクチン接種担当室あてに要望書を提出しています。

その結果、接種券の発送に添える文書やホームページに

「任意」と書いてくれただけ良かったのですが

今はホームページを見ても、「任意」の文字がどこに

書かれているのか分からなくなりました。                              

                                 

健康に問題のない子どもが新型コロナウイルスに

感染して重篤化する例は稀で死亡例はほとんどなく、

逆に1215歳のコロナワクチンの強い副反応は短期間に多数、

死亡例も厚労省の副反応部会に報告されています。

                                                                 

ワクチンと死亡の因果関係は不明とされていますが、

逆に因果関係がないことも証明できていません。

非常に不安を感じます。

                          

このコロナワクチンに疑問を抱き、中止を呼びかける医師たちが

全国に現れています。その一例が「北海道有志医師の会」です。

https://www.facebook.com/groups/637516010856318

 

                                 

市のアナウンスには、こちらもやはりメリットばかりが

書かれていてリスクには触れていません。

                                   

それからワクチンについて「感染拡大防止に効果的」と

書かれていますが、その効果は非常に限定的短期間です。

感染拡大防止に効果的というエビデンスはどこにあるのか?

問いましたが回答はなく、それは事実ではないと指摘しました。

                                                        

どちらにも反対までは言いませんでしたが、

メリットばかりを伝えているのは情報としてフェアじゃないこと、

副反応が起きた時には救済措置があること

(かなり不十分な救済措置ですが)

をきちんと明記してほしいと発言しました。

                      

                      

感染の実態調査も行わず、対策と言えば

蔓延防止とワクチンだのみ。

3・11の原発事故後に調査をしない状況と、

全く変わりない現状。

                          

国の政治は無責任だと思いますが、

自治体は国から言われるまま?

市民の健康を守れるのは基礎自治体

だと思います。

また、市民の状況を県を通じて国に

言う役割も自治体にあると思います。                        

                                      

市長が指示してくれれば、職員はその通りに

動くのですが…。 

                     

                                            

あっという間に4月になってしまいました

『1日も早く「戦争」が終わってほしい』

本当にそう願います。

この動きに便乗して

「9条で平和は守れない」

などとネット上では話題になりましたが…

誰が戦争に行くっていうのでしょう?

戦地に行くのは、若者なんですよ…

若い人にそんな恐ろしい思いをさせるわけにいかないんです。

                                                                                                   

 

さて、3月議会の報告をブログに書こうと思いながら

なかなか書けずにいましたが、ごく簡単に。

                        

3月議会の審議結果は以下です。

https://www.city.matsudo.chiba.jp/gikai/kaigi_kekka/shingikekka2.files/202203teireikai4.pdf

                                

このうち私が反対したのは、

                            

議案第52号(一般会計予算)、

議案第57号 新松戸駅東側区画整理事業特別会計予算、

議案第89号 松戸市病院事業の設置等に関する条例等の一部を改正する条例の策定(東松戸病院の廃止条例)

議案第92号 松戸市総合計画の策定について

令和3年度請願第5号 交通安全運動に協力した松戸市民の

人権侵害に関する取り組みを求める請願

                              

です。

賛成/反対(賛否)が分かれた市長提案議案の理由は

以下からご覧いただけます。

https://www.city.matsudo.chiba.jp/gikai/kaigi_kekka/sanpikoukai/sannpi3.html

議会の討論(賛成か反対を議場に呼びかけること)なので、

あまり楽しい文章ではないですが。 

                   

今回予算審査特別委員会の委員を務めました。

予算委員は、気力・体力が必要なのですが、、、

とにかく疲れました!!

4日間、6時00分〜7時30分に終わり…

市長は初日の午前中のみに参加でした。

(あり得ないと思うけどな〜)

                        

私は、認めがたいと判断した事業をいくつか削除する案

(修正案)を立憲民主党の戸張ともこ議員と共に提案

しました。

しかし、否決されてしまい、削除修正を望んだ事業が含まれた、

本予算には反対しました。

たとえ金額がそこまで大きくなくても、市の方針、方向性を

反映させるのが予算。市の今の方向性に賛同することはできない、

と判断しました。

               

新松戸駅東側の土地区画整理事業 特別会計予算には

反対し続けてきました。

対象エリアに、4割近農地を持つ地権者がいます。

その方の承認を取り付けないまま強引に進めた結果、

全く着地点が見えてきません。

結果的に市民を分断するような事業になっていないのか。

新松戸駅快速停車に232億円のお金がかかることも分かりましたし、

一体いくらかかるの!?一旦立ち止まって考えませんか??

と言いたいです。

                               

                           

取り急ぎ報告でした。

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