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2022年4月28日 (木)

我が子が不登校になったら?私の場合はこうでした<その2>

(その2)長いです。

                 

①「不登校になった時、親はまず子どもを受け入れよう。

 それは親である自分自身を受け入れることです。」

 私が考えたことや行ったこと。

 子どもの要望を拒否しない。それは我儘にすることにはなりません。

 

                                

私には子どもが2人います。

1997年(平成9年)生まれの長女と、2002年(平成14年)生まれの長男。

                               

不登校になったのは下の息子です。彼が中学校1年生の2学期でした。

始業式からひどい咳で休み、その後も1か月ほど

行けたり行けなかったりを繰り返しました。

今思えば、彼は何度も

「母ちゃん、熱があるみたいなんだけど?」

と聞いてきました。

           

首を触ると、確かに微熱があるんですよね。

地元のクリニックに言くと「風邪だろう」と言われ、

漢方薬を出してくれました。

でも、なかなかスッキリと良くなりませんでした。

                    

2011年の原発事故の影響で、松戸市も放射能汚染の

ホットスポットになったこともあり、私はむしろ白血病を心配しました。

そこで、クリニックの先生に紹介状を書いてもらい、

松戸市立病院に連れていきました。

                     

血液検査や尿検査など基本的な検査の結果

「全く問題ない」との診断でした。

そこで、初めて私は

「もしや、これは心の問題では?」

と思うようになったのです。

                      

(この辺の細かいやり取りは、もう忘れてしまって思い出せません…)

                         

確か息子に「もしかして学校行きづらいの?」と聞いたと思います。

「うん…でも母ちゃん忙しそうだったから…」

ちょうど、私の初めての選挙が11月だったため私はとても忙しく、

息子の方も遠慮していたそうです(悪かったな~)。

                    

うちの息子の場合「いじめ」は全く考えられませんでした。

小学校から付き合っている仲良しの友達は皆とても優しい子たちで、

学校帰りや休みの日に、息子を励ましてくれていましたし、

息子も友達が大好きのようでしたから。

                                                  

中学校のカウンセラーに面接を申し込み、息子と2回ほど行きました。

(担任を通して申し込むんですよねー、これが結構ストレスだった)

カウンセラーさんはとても話しやすく、やり取りしているうちに

息子は何となく登校できそうな気がしてきたらしく

「来週の月曜日に頑張ってみる」と決めました。

                         

そして翌月曜日。

息子は起床して制服に着替え、朝食と歯磨きを済ませました。

そして学校のカバンを取りに2階へ上がったきり戻ってきません。

「むむ、これは」

と2階に行くと、息子はカバンを前に正座し、

岩のように硬くうなだれていました。

                          

「学校、行けないの?」

と聞くと、彼はやっと、絞り出すように、小さくコクンと頷きました。

「そんなに苦しいのなら無理して学校に行かなくてもいいよ。大丈夫だよ。」

と声をかけました。

「これからのことはゆっくり一緒に考えていこう」

                       

今でも、あの時にそう言って良かった、と思っています。

息子の心のプールが空っぽで

カラカラに乾いていることが分かりましたから。

                          

それからしばらく半年以上、息子はうつ状態でした。

学校に行かれない自分を自己否定し続けていたと思うし、

友達が「頑張れていない自分を見捨てるかもしれない」

という不安が付きまとっていたと思います。

ですから、友達が遊びに来てくれた時には、

心からホッとした顔を見せていました。

                  

特に学期と学年の変わり目は滅入っていたと思います。

                         

友達に励まされ、3学期は登校しようと、私と一緒に宿題を仕上げ、

始業式まで数日と迫った頃、

息子はソワソワして落ち着かなくなりました。

「母ちゃん、俺、学校行けるかな…」

息子は不安だったようです。

「どうだろうね。でも、もし行けなかったらうちにいればいいよ。」

                 

結局行かれず、その後、第2学年に上がる時も

同じようなことがありました。

その度に、友達が離れてしまうかもしれない不安に

苛まれていたようでした。                   

仲良しの友達から

「遊びに行っても良い?」

という連絡があった時の、

パッと明るくなった息子の顔を思い出します。

 

(その3に続く)

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