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2024年2月27日 (火)

学校に行っているあなたも、学校に行けないあなたも、変わらないよ

少し前に書きためておいた文章を投稿します。
息子が不登校になった時の様子や、その時の私の気持ちなどを、最近のことも含めて、改めて書き記しました。以前に投稿した時は細切れに7回ほどに分けましたが、今回は分けずに全部投稿するので、だいぶ長いかもしれません。

私の体験は、あくまでも私の経験なので、全ての人に当てはまるわけではもちろんありませんが、少しでもどなたかのお役に立てたら幸いです。 

                                                              
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「熱っぽい」と毎日のように私に聞く息子

 息子が不登校になったのは、中学校1年生の2学期からです。始業式当日に咳と熱で休みました。回復して登校してからも度々熱があると言い、触ると確かに微熱があり、また少し休む、を繰り返しました。私は悪い病気を心配し、松戸市立病院(当時)を受診しました。ところが、検査の結果、全く異常無し。

 そこで私は初めて、心の病気では?と気づきました。「もしかして学校行きづらいの?」と尋ねると、彼は「うん…でも母ちゃん忙しそうだったから」と遠慮がちに答えました。私は「大丈夫だよ、一緒に考えていこうね」と言いました。

                                    

夫の理解を得るのは大変!

 しかし夫は「このまま、ひきこもりになったらどうする」と私に心配を言って来て、息子に「学校に行くように」と叱っていました。息子は上着を頭からかぶり、縮こまります。これは夫の方を何とかしなければと思い、ひだまり等(※)に相談に行き、意見を聞きました。すると、おおむね「エネルギーが貯まれば、自分で歩き出すのでは」との答えでした。

 そこで、しぶる夫をひだまり主催の講演会に連れて行きました。周囲の保護者の質問している声を聞いて、「自分のうちだけじゃない」と分かって安心したのか、それからは息子にキツい態度を取ることはなくなりました。 

※不登校問題を考える東葛の会 ひだまり

http://hidamari0501.web.fc2.com/news.html

不登校親子応援ねっと では不登校の相談先などを紹介しています

https://ouennet.com/
                                                  

息子の様子

 息子は、学校からのプリント類を全く見ようとせず、学校に対して拒絶感があったように思います。一方で自己否定感にさいなまれていたようです。 「学校にも行けないこんな自分を、友達は見捨てるかもしれない」と思っていたのかもしれません。友達に励まされ、新学期には登校しようと思っても、結局行くことができず、暗い表情が続きました。

 たまに仲の良い友達から「遊びに行っても良い?」と連絡が来た時の息子の顔は、パァッと明るくなりました。同じ小学校から中学校に進級した友達はみんな優しい子で、それまでと全く変わりなく、時々うちに遊びに来ては息子を励ましてくれて、今でも心から感謝しています。

                                   

母親としてしたこと

 私からは「学校に行っているあなたも、学校に行けないあなたも、変わらないよ」と話しました。「世間の全ての人があなたを批判しても、私だけは味方だから」と伝えたこともあります。あの時、本当にそう思っていたし、今でもそう思っています。

 息子の要求は基本的に受け入れていました。例えば、不登校になった当初はレゴブロックに夢中で、YouTubeですごい作品を見つけては、自分のレゴのピース数で作れるかを考えているようでした。時々「アイディアが降りてきたから寝ないで作りたい。良い?」と言われ了解しました。「その作品の設計図はどうなっているの?」と彼に聞くと「頭の中にある」と答えます。私は、まじめに息子を「天才と違うだろうか」と思いました(笑)。

ゲームも夢中でやっていましたが、「時間を決めてね」と言う以外、あまり止めませんでした。

 また、不登校になって最初の頃、息子が「一緒の布団で寝ても良い?」と言ってきました。中学生にもなった息子と母親が一緒の布団に寝るなんて、気持ちが悪いと思われるかもしれませんね。でも、息子が不安で押しつぶされそうなことが分かったので受け入れました。ある時は娘と3人一緒に布団に入って、楽しくおしゃべりしたこともありました(もちろんとっても狭かったですけどね)。

 この「一緒の布団」は、息子が中3になった頃でしょうか、私が熱を出し、インフルエンザだといけないからと、別々に寝ることになったのですが、朝になって、息子が「一人で寝るのって楽チンなんだね!」と言ったので「ああ、もう大丈夫なのだ」と理解し、それぞれの布団で寝ることにしました。

                                      

不登校の理由

 不登校の理由について、息子は「良くわからない」と言っていましたが、学校をベルトコンベアーに例え「始業式の日に友達はベルトコンベアーに乗って先に進んでいる。自分は遅れて乗ったけれど、どうしても追いつけない感じ」という話をしてくれたことがあります。また「保育園が一番楽しかった。小学校はガマンができた。でも中学校は無理だった。」と一度だけ言いました。

 子どもの自主性、自分らしく生きること、などを、今の学校はどこまで保障できているのだろうか?と、息子の不登校を経験し、学校の在り方や教育について、深く考えるきっかけになりました。

                                           

私が動揺しなかった理由は「保育園」かも?

 私は他の保護者に比べて、息子の不登校に、あまり動揺しなかったようなのですが、その理由は、多分息子がお世話になった保育園だと思います。そこでは「ありのままのあなたで良い」という、子どもの存在や自主性を、最大限、大切にする保育を実践してくれていました。私自身もその影響を受けた気がします。また、息子はその保育園が運営する放課後児童クラブに通いましたが、その子どもの天国のようなクラブが大、大、大好きで、とにかく毎日、思い切り笑い転げて子ども時代を過ごしていました。私は、息子の自己肯定感を十分育ててもらっている、と、どこかで分かっていたのではないでしょうか。

                                    

進路について、息子の今

 息子は、中学校の間は自宅で過ごし、学校の勉強は全くしていませんでした。高校受験は不安だったと思いますが「どうせ今までずっと家で過ごしていたのだから、不合格ならまた家にいれば」と背中を押し、千葉県立松戸南高校の夜間部を受験し、運良く合格することができました。

 それから4年後の卒業時、息子は進路未定者でしたが、出会いに恵まれて、北海道の建設会社でアルバイトをさせていただけることになり、その半年後、正式に社員にしていただきました。ペラペラだった彼の体は、胸板が厚くなり、力こぶも付き、見違えるほどたくましくなりました。職人の皆さんに温かく育てていただいているようで、建築の何たるかも知らない息子を受けいれてくれて、本当に感謝しかありません。また、息子にとって、不登校だったことを知る人が誰もいない環境、というのも良かったと思います。 

                                        

子どもだけでなく、親自身も自分らしく生きていきたい

 幼稚園/保育園→小学校→中学校→高校→大学→就職…この道以外に、まるで道は無いかのような日本社会において、不登校は人生の脱落を意味するようで、大抵の親は悩み、子どもを世間並みに育てなければと焦ります。夫はまさにそうでしたが、ある意味仕方がないと思うのです。

 でも、我が家は、息子の不登校を通して「自分が自分らしく生きる人生で納得するのなら、まあ何でもいいか」と思えるようになった気がします。

 私は時々思うのです。もし学びたくなったら何歳になっても低額や無償で大学に通えるとか、事業に失敗してもやり直しができるとか、「人生どうにかなる社会だ」と思えたら、今より少しは不安が少なくなるのにな、と。

                                    

経験した親として

 私の経験を通して思うことは、親自身が「長い人生にはこういう時期もあるさ」と腹をくくり、子どもの状態をじっと観察し、焦らず、受け入れて、信じて待つことかな…と思いますが、忍耐が試されるかもしれません。また、親の会に参加し、不安な気持ちを吐き出すこともオススメです。そこにいる経験者の皆さんも、かつては我が子の不登校に涙したことでしょう。だから、きっと共感してくれると思います。

 また、不登校になる子どもは鋭い感性を持つ子が多いので、親の不安や偽りは簡単に見抜かれてしまうような気がします。だから自分自身が本心から思わないと、子どもと向き合えないのではないでしょうか。それから、一つ言えることは、私にとっても、誰にとっても、初めての人生、初めての子育てです。色々あって当然だと思うのです。立派な親になろうとせず、子どもと一緒に悩み、喜び、成長すればいいと思います。 

                              

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最後までお読みいただきありがとうございました。
息子の場合は、本当にうまくいった例だと思うので、ご参考になるかどうか迷いつつですが…

うまく言えないのですが、多分、親として子どもの進路を見つけることよりも、子どもに見返りを全く求めずに受け入れることが出来るのか、試されるのは、親としてというよりも、一人の人間としてどうなのかということではないかと…これは今でもずっとそう感じています。


以前に投稿した文章も参考に記しておきますね。宜しかったらお読みください。
http://masudakaoru.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-dd61ae.html

                          

                             

                        

 

2024年2月23日 (金)

3月議会では重要な案件の審議がたくさんあります!

こんにちは。増田薫です。

まずは請願傍聴のお願いです。

市民有志の方が、イスラエルパレスチナの件で、人道的立場に立った即時停戦を求める意見書提出を求める請願(タイトル未確認です💦)が提出されました。共産党山口さん、ミールさん、嶋村さん(宇都野さんは常任委員)、立憲民主党関根さん、戸張さん(二階堂さんは常任委員)、社民党工藤さん、増田(DELIさんは常任委員)、が紹介議員を受けました。

                                                

3月7日(木) 10:00〜
総務財務常任委員会で審議されます。

お時間のある方はぜひ!傍聴にいらしてください。

                             
                                

さて、昨日22日から3月議会が始まり、市長から施政方針説明、教育長から教育施策方針説明が行われました。以下、私が注目した部分を抜き出してみました。以下、長文ですが…。
                                     
⚫︎施政方針…私が注目したのは緑の保全、農業、市庁舎移転の件でした。
*緑地保全について=市内に残された樹林地を保全するために"フォレストマネジメント"の仕組みを作る。
 →緑地は樹林地のみしか守ろうと思っていない現れでは?
*最後の方で「さてこの度、全国の緑の関係者が一堂につどい、広く都市緑化意識の高揚を図り、緑を守り育てる国民運動を積極的に推進していくことを目的とする、第36回「みどりの愛護」のつどいが本市で開催されることが決定」とあります
 →これは一体なんなのだ?
*農業について=松戸産農産物のブランド力及び生産性向上のため、農業者への支援を引き続き行ってまいります
 →たったの2行だけ。農業を守っていこうなどこれっぽっちも思っていない現れでは?
*市庁舎について=災害発生時の本市の拠点ともなる市庁舎の建て替えについては、大規模災害が頻発する昨今の状況を重く受け止め、今般、段階的な整備についてお示ししたところでございますので、用地取得も含め、早期に事業着手できるよう取り組んでまいります。
 →ぼやかして説明している。堂々と「移転に向けて用地取得の予算を盛り込んだ」と説明すべきでは?
                         
                            
文章で読むならこちら↓(前段が長い!!)
                             
                                   
⚫︎教育施策方針
 私が注目したのは、マイセン磁器の展示、母語が日本語でない子どものための「にほんごルーム」、不登校対策、みらい分校との連携、でした。
*マイセン食器=令和4年度に寄贈を受けたマイセン磁器につきましては、152点のうち約30点を展覧会で公開し、華麗なマイセン磁器の魅力を紹介します
 →昨年、展示と保管の補正予算が否決されたのに、シレッと一般会計に入れてきたことが信じられません。しかも、実はこれ、戸定邸資料館で展示をするんです。徳川昭武とマイセン磁器は何ら関係がなく、一体どういうコンセプトで展示をするのかと呆れています。マイセン磁器の寄贈なら、関係の深い有田美術館とかが良いと思いますけど。
*外国人の子どもへの対応=外国にルーツを持つ児童生徒が増加傾向にあるが、全国的な日本語指導者不足は本市でも同様。「にほんごルーム」は2年経ち軌道に乗りつつある。
 →外国にルーツを持つ子どもを「にほんごルーム」で特別に教えています。教員不足が深刻な松戸市(確か40人ほど不足)では対応し切れていない様子が伺えます。
*不登校支援=松戸市教育支援センター「ふれあい学級」、ほっとステーション、教育相談等の施設内の机や椅子などの備品を木製素材に変え、心地よい学習環境づくりを進める。ふれあい学級の機能強化の一環として、夜間中学校(みらい分校)と連携し、日中に通級が困難な不登校生徒が夕方からでも学習できる仕組みづくりに取り組む
 →木製の机や椅子は良いと思うけど、品物が何なのか…(合板は木とは言えないので)。みらい分校で受け入れる予定なのは、起立性障害で起きられない児童生徒のみ。うーん…勿体無い気がします。
                           
                                 
文章で読むならこちら↓
                    
動画なら
                             
市長は6’20”〜40’30”(34分くらい)、
教育長は40'52"〜1:08'04"(27分くらい)
1.5倍速、2倍速も選べます。
                     
                       
来週1日から代表質問が始まります。
都市計画マスタープランの関係は立憲民主党の関根さんが行います。松戸市は農地の保全をする気は全く無いようで…
                                        
最近、市庁舎の建て替えについてもそうですが、整合性が取れないことを平気でやってのける行政の姿を目にしています。そう言う意味で、都市農業振興計画との整合性なんて、どうでも良いのかも?
                                              
                                  
                                  
予算審査特別委員会は
3月14日(木):歳出 総務費、民生費、
   18日(月):衛生費、労働費、農林水産費、商工費、土木費
   19日(火):消防費、教育費、災害復旧費、公債費、諸支出金、予備費 歳入
  →一般会計の採決、討論 ※市庁舎移転候補地の国有地取得費が盛り込まれています。賛成多数で可決される見込み?市役所は事実上、移転になると思われます。約8,700㎡38億円!!
   21日(木):各特別会計、各事業会計
                      
政策実現フォーラム・社民は 工藤さんが予算審査特別委員です。
                                           
                                        
市民が気づかない間に松戸市はどんどん悪くなっていきますね。。。
市民の代わりに議会にいる、私たち議員がきちんと見ていないといけないのだけど。                            
                               
                                         

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