満州国とは何だったのか?を知る。満蒙開拓平和記念館に行ってきました
【満蒙開拓団をご存知ですか?】
昭和6年(1931)に起きた満州事変後、日本が満蒙地区に送りこんだ農業移民団。
昭和7年(1932)に第一次移民が送り出され、昭和20年(1945)敗戦時には約32万人がいたといわれます。
多くがソ連・満州国境地帯に入植し、中国人・朝鮮人の既耕地を収奪する結果となりました。
「満州国」に行けば「20町歩の地主になれる」「五族協和・王道楽土」 希望を抱いて行った新天地でした
が、1945年8月9日、ソ連侵攻により地上戦に巻き込まれ、悲惨な逃避行や避難民生活で多くの犠牲を出しました。(ことばんくを少しアレンジ)
4日(日)の朝日新聞「天声人語」に満蒙開拓団の話が書かれていました。お読みになりましたか?
さて、7月19日〜20日で、長野県阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」に17名で行ってきました。
立憲民主党の関根議員、戸張議員、増田、3人の合同企画で、ご近所に住む古宮保子さんがナビゲーター役でした。
古宮保子さんは、満蒙開拓団ではなく、お父さんの仕事の都合で中国にいました。終戦直前にソ連兵が侵攻してきたこと、通化市終戦を迎えていたのに、日本軍の残党兵が蜂起し激しい戦闘となり多くの日本人が巻き込まれて亡くなった"通化事件"にも遭遇。当時8歳だったそうです。
お父さんが遺した手記を元に書籍を自費出版なさいました。そんな体験や思いがあり、以前から満蒙開拓平和記念館に行きたかったそうなのです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/84649
長野県から満州に渡った子どもたちは、全国でもダントツでした。理由は?様々言われていますが、私は教育熱心な県として知られる長野県ならではだったのでは?と感じました。
戦後はあまり語られてこなかった「満州」のこと。満蒙開拓とはいったい何だったのか。この歴史が現代に問いかけるものとは?
満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com/
平和記念館のある阿智村は、かなり遠いので行きも帰りも寄り道は無し。
団体申し込みをして、対話学習交流会もお願いしました。ガイド(ボランティア)も本当に良く訓練されていますし、事務局長の三沢さんは、毎回惚れ惚れするほど説明が的確で詳細かつ分かりやすいのです(実は4回目😀💦)。
NHKアーカイブ 満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争~
をご紹介しておきます。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001230003_00000
戦争被害の歴史は(不十分ながら)伝わりますが、加害の歴史を伝えるのは難しいです。けれど、それを乗り越えていかなければならないと思います。何故なら人は間違える生き物だからです。私たちは一定の条件が揃えば間違える、ということを過去から学ばなければ、いずれまた同じ間違いを仕出かす可能性があるのです。
今回、チラシを配布したらそれなりに反響がありました。「高齢でツアーには参加出来ないが、自分は引き上げ者です」と何人かから電話をいただきました。
意外と近くにいることを実感しました。
間もなく終戦記念日です。敗戦記念日だ、という人もいますね。
戦争はどんな理由があってもダメです。全身全霊で反対します。だって、指揮命令する人たちは、戦地では戦わず、戦わされるのは一般の人たちなのですもの。戦争になってしまったら最後、止めることができません。
あとに残るのは体と心の傷だけ、残るどころか全てを失い、マイナスにしかなりません。
とても良い旅になり、本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました!
関根ジローさんは往復運転してくれて、本当にお疲れ様でした。
戸張さんは点呼を引き受けてくれて、お世話になりました!
#太平洋戦争 #満州国 #満蒙開拓団 #満蒙開拓平和記念館 #長野県 #阿智村 #平和